「香川大学経済論叢」第76巻第3号(2003年12月発行)掲載
[研究ノート]

マーラーの《大地の歌》
─ 唐詩からの変遷 ─
(第1〜3楽章)


   はじめに

マーラーの《大地の歌》の原詩については,これまでの研究により,ほぼ解明されている。 吉川幸次郎氏が1970年,NHK交響楽団のプログラム冊子『フィルハーモニー』に寄稿した論考 (1) では,第4楽章〈美について〉,第5楽章〈春に酔える者〉,第6楽章〈告別〉の原詩を挙げての考察がなされている。 しかし,最初の3つの楽章の原詩については,不明とされている。 その後,李白の「悲歌行」について論じられている富士川英郎氏の「李太白とドイツ近代詩」 (2) に接した吉川氏は,第1楽章〈大地の悲嘆についての酒宴の歌〉の原詩が「悲歌行」であることを確認し,1975年,先の論考の最後に,注の形でその旨を追加修正している。

海外でも,1980年代から《大地の歌》の原詩についての考察がなされるようになり,1984年に出版されたラ・グランジュの研究書 (3) では,原詩,エルヴェ=サン=ドニ侯爵とゴーティエによるフランス語訳,ベトゲによるドイツ語訳がマーラーの歌詞とともに載せられている (4) 。 そこでは,第2楽章〈秋に孤独な者〉の原詩として,銭起の「效古秋夜長」が紹介されている。第3楽章だけは原詩が不明とされている。1989年,浜尾房子氏のセンセーショナルな論考が『音楽芸術』誌に発表され (5) ,これまで原詩が存在しないとまで思われていた第3楽章〈青春について〉についても,李白の「宴陶家亭子」を原作とすることが解明された。

《大地の歌》の原詩問題については,こうして一応の決着を見るにいたり,原詩からマーラーが参照したベトゲまでの過程は,表1のようにまとめられる (6)

表1   マーラー《大地の歌》に使用された詩の変遷の系譜
  原詩 Hervey-Saint-Denys (1822-92)
Poésies de l’époque des Thang (1862)
Judith Gautier (1845-1917)
Le livre de Jade (1876)
Hans Heilmann (1859-1930)
Chinesische Lyrik (1905)
Hans Bethge (1876-1946)
Die chinesische Flöte (1907)
李白
『悲歌行』
La chanson du chagrin   Das Lied vom Kummer Das Trinklied vom Jammer der Erde
銭起『效古秋夜長』   Le soir d’automne Herbstabend der Einsamen Die Einsame im Herbst
李白
『宴陶家亭子』
  Le pavillon de porcelaine Der Porzellan= Pavillon Der Pavillon aus Porzellan
李白
『採蓮曲』
Sur les bords du Jo-yeh Au bord de la rivière An den Ufern des Jo=yeh Am Ufer
李白
『春日醉起言志』
Un jour de printemps   Der Frühlingstag Der Trinker im Frühling
孟浩然
『宿業師山房待丁公不至』
Le poète attend son ami Ting-Kong dans une grotte du Mont Nié-chy   Abend (Mong-Kau-Jen erwartet seinen Freund den Dichter Ting-Kong am Nin=chy=Berge) In Erwartung des Freundes
王維
『送別』
En se séparant d’un voyageur   Abschied von einem Freunde Der Abschied des Freundes

ただし,第2楽章と第3楽章については,原詩とゴーティエによるそのフランス語訳との間に,かなり大きい相違があるので,この結論が必ずしも完全に受け入れられて定着している状況とも言えないようである。やはり,欧米の研究者にとっては,原詩への理解がかなり難しいからであろうか。同じ漢字文化圏である日本人にとっては,原詩とその欧語への翻訳を比べるという点では,有利な立場にあるといえよう。なお,ベトゲの詩をマーラーが歌詞とする際に,多少の改変も施したが,一部のタイトルの変遷については表2のような過程をたどっている。

表2   マーラー《大地の歌》の各楽章のタイトル
 
Hans Bethge
ピアノ稿
管弦楽版
第1楽章 Das Trinklied vom Jammer der Erde
(大地の悲嘆についての酒宴の歌)
Das Trinklied vom Jammer der Erde Das Trinklied vom Jammer der Erde
第2楽章 Die Einsame im Herbst
(秋に孤独な者)
Die Einsame im Herbst Der Einsame im Herbst<
第3楽章 Der Pavillon aus Porzellan
(陶器の亭)
Der Pavillon aus Porzellan Von der Jugend
(青春について)
第4楽章 Am Ufer
(岸辺で)
Am Ufer Von der Schönheit
(美について)
第5楽章 Der Trinker im Frühling
(春に酒飲む者)
Der Trinker im Frühling Der Trunkene im Frühling
(春に酔える者)
第6楽章 In Erwartung des Freundes
(友を待ちて)
Der Abschied
(告別)
Der Abschied
Der Abschied des Freundes
(友の別れ)

ところで,全楽章を通しての原詩からマーラーの歌詞までの変遷の過程の比較考察は,これまであまり手がつけられていないように思われる。そこで,この研究ノートでは,原詩からフランス語訳,フランス語訳からドイツ語訳への翻訳の変遷の過程を考察し,マーラーが採用したハンス・ベトゲのドイツ語詩が,どのようにして誕生したのかについて検討を加える。もちろん,マーラーが参照したベトゲの詩は,中国の原詩から直接翻訳したものではないが,原詩の味わいがどの程度保たれているのか,あるいは逆にどの程度かけ離れているのかを考察することは,このマーラーの有名な声楽つき交響曲を鑑賞する上で,極めて示唆に富むといえるであろう。今回は,前半の3つの楽章を取り上げる。

    T.第1楽章 「大地の悲嘆についての酒宴の歌」

この楽章の歌詞の原詩とされるのが,李白の「悲歌行」である。「悲歌行」は4節36行からなる詩であるが,エルヴェ=サン=ドニによりフランス語訳されたのは,前半の2節18行の部分だけである。後半には大昔の武将の名前などの人名が頻出するので,前半だけを訳したのであろう (7) 。原詩の前半部分は,以下のようなものである。

        悲歌行 (8)

悲來乎
悲來乎
主人有酒且莫斟
聽我一曲悲來吟
悲來不吟還不笑
天下無人知我心
君有數斗酒
我有三尺琴
琴鳴酒樂兩相得
一杯不啻千鈞金
悲來乎
悲來乎
天雖長地雖久
金玉滿堂應不守
富貴百年能幾何
死生一度人皆有
孤猿坐啼墳上月
且須一盡杯中酒

悲しみ来たるか
悲しみ来たるか
主人酒有るも且(しばら)く斟む莫(なか)れ
我が一曲悲来の吟を聴け
悲しみ来たって吟せず還(ま)た笑わず
天下 人の我が心を知るなし
君に数斗の酒あり
我に三尺の琴あり
琴は鳴り 酒は楽しみ 両(ふたつ)ながら相い得たり
一杯啻(ただ)に千鈞の金のみならず
悲しみ来たるか
悲しみ来たるか
天は長しと雖も 地は久しと雖も
金玉満堂 應(まさ)に守らざるべし
富貴百年 能く幾何(いくばく)ぞ
死生一度 人皆あり
孤猿 坐(そぞ)ろに啼く 墳上の月
且(か)つ須(すべか)らく一たび杯中の酒を尽すべし

大野氏の『李太白詩歌全解』をもとにこの詩の大意を要約すると,次の通りである。

悲しいことである。
主人に酒があっても,しばらくは飲まずに,
私の一曲の悲来の吟を聞いて欲しい。
悲しい気持ちが生まれると,歌うことも笑うこともできない。
天下に私の心を知ってくれる人もいない。
君には数斗の酒があり,私には三尺の琴がある。
琴を鳴らし,酒を飲んで楽しむ用意はどちらも十分にできている。
こうして楽しめば,一杯の酒でも黄金千金も及ばないほどの価値がある。

悲しいことである。
天は永遠に存在し,地は悠久に不変のものではあっても, 人間社会は天地自然と同様に長久の存在ではなく,
金玉が家に充満するばかり豊かに富んでも,いつまでも同じ状態を保持し続けることはできない。
富を積み尊い位を得ても,百年も維持できればせいぜいで,それ以上は不可能であろう。
人は生まれることと死ぬことを一度は経験しなければならない。
群を離れた一頭の猿が,墳墓を照らす月の光のもとでそぞろに泣いているのは,実に悲しいものであるが,人の心の真の姿もまさにこのように悲しいものである。
それで,可能な時は杯中の酒を飲んで楽しむべきである。

エルヴェ=サン=ドニが1862年にパリで出版した『唐詩』で,中国の詩がフランス語に翻訳され初めてヨーロッパに紹介されたが,この詩のフランス語訳は以下の通りである。

      La chanson du chagrin (9)     悲しみの歌

Le maître de céans a du vin, mais ne le versez pas encore:
Attendez que je vous aie chanté La Chanson du chagrin.
Quand le chagrin vient, si je cesse de chanter ou de rire,
Personne, dans ce monde, ne connaîtra les sentiments de mon cœur.
    この家の主人には酒があるが,まだ注がないでくれ。
    私が君らに悲しみの歌を歌うまで待ってくれ。
    悲しみが来ると,私が歌ったり笑ったりするのを止めると,
    私の心の感情を知る者など,この世に誰もいないだろう。

Seigneur, vous avez quelques measures de vin,
Et moi je possède un luth long de trios pieds;
Jouer du luth et boire du vin sont deux choses qui vont bien ensemble.
Une tasse de vin vaut, en son temps, mille onces d'or.
    主人よ,お前にはいくらかの酒があり,
    私には三尺の長さの琴がある。
    琴を弾くことと酒を飲むことは,調和する二つの事柄である。
    時機を得ての一杯の酒は百万オンスの金の価値がある。

Bien que le ciel ne périsse point, bien que la terre soit de longue durée,
Combien pourra durer pour nous la possession de l'or et du jade?
Cent ans au plus. Voilà le terme de la plus longue espérance.
Vivre et mourir une fois, voilà ce dont tout homme est assuré.
    天が滅びることはないし,大地もずっと持続するが,
    我々が金やヒスイを所持することがどれだけ続くであろうか。
    せいぜい百年であろう。もっとも長い希望で見積もっても。
    生と死は一回,それはすべての人間に確実なことである。

Ecoutez là-bas, sous les rayons de la lune, écoutez le singe accroupi qui pleure, tout seul, sur les tombeaux.
Et maintenant remplissez ma tasse; il est temps de la vider d'un seul trait.
    あれを聞け,月の光の下を。墓の上でひとりで泣いてうずくまる猿を聞け。
    今こそ私の盃を満たしてくれ。一気にそれを空けるときである。

この詩は李白の詩を忠実に訳しているといっていいであろう。飲酒の前に一曲歌うこと,酒と琴との調和,天地の長さと人生の短さの対比,孤独な猿といったモチーフが,きちんと訳されている。 これをもとにしたハイルマンのドイツ語訳は以下の通りである。

        Das Lied vom Kummer (10)     悲しみの歌

Der Herr des Hauses hat Wein, aber füllt noch nicht die Becher:
Wartet, bis ich das Lied vom Kummer gesungen habe!
Wenn der Kummer kommt, wenn mein Gesang, mein Lachen erstirbt,
Dann kann niemand ermessen, was meine Seele bewegt.
  (Peï laï ho! Peï laï ho!)
    この家の主人には酒があるが,まだ杯を満たさないでくれ。
    私が悲しみの歌を歌うまで待ってくれ。
    悲しみが来ると,私の歌や笑いが止まると,
    私の心を動かすのが何なのか,誰にもわかるまい。
    (ペイ・ライ・ホー)

Herr, du besitzest viel köstlichen Wein,
Ich habe meine lange Laute.
Die Laute schlagen und Wein trinken, das sind zwei Dinge, die trefflich zu einander passen.
Ein Becher Wein zur rechten Zeit ist tausend Unzen Goldes wert.
  (Peï laï ho! Peï laï ho!)
    主人よ,お前にはたくさんの美味しい酒があり
    私には長い琴がある。
    琴を弾いて酒を飲む,これはまさに調和する二つの事柄である。
    時機を得ての一杯の酒は千ウンツェの金の価値がある。
    (ペイ・ライ・ホー)

Wenn auch der Himmel ewig ist und die Erde noch lange fest steht,
Wie lange werden wir uns des Goldes und des Jade erfreuen können ?
Hundert Jahre, das ist die Grenze der kühnsten Hoffnungen.
Leben und dann sterben, das ist das einzige, wessen der Mensch sicher ist.
  (Peï laï ho! Peï laï ho!)
    天が永遠で,大地がずっと存在していても,
    我々は金やヒスイをどれだけ長く楽しむことができるであろうか。
    百年,それがもっとも思い切った望みの限界である。
    生と死,それは人間に確実な唯一のことである。
    (ペイ・ライ・ホー)

Hört ihr ihn da unten, im Mondenschein, hört ihr den Affen, der da zusammengekauert sitzt und heult, einsam unter Gräbern?
Und nun füllt mir den Becher, nun ist es Zeit, ihn mit einem Zug zu leeren!
  (Peï laï ho! Peï laï ho!)
    聞こえるか,月光の中にいる下のあれを。墓の下で孤独にうずくまり吠えている猿が聞こえるか。
    さあ今こそ私の盃を満たしてくれ。それを一気に飲み干すときである。
    (ペイ・ライ・ホー)

Peï laï ho! は原詩の「悲來乎」をそのまま発音したものである。近年のピンイン表記では, bei lài hû! となるが,「悲」に相当する bei は,ウェード式では pei である。ハイルマン自身,原詩では「悲しみ(絶望)がやってくる」という意味の「悲來乎」がリフレインとして用いられていることを知っており,この「ペイ・ライ・ホー」という擬音的効果をもった語をドイツ語に再現することは不可能なので,苦痛の声としてあえて訳さずに原音のまま表記したと注に記している (11) 。 原詩では各節の冒頭に置かれているリフレインが,ドイツ語の翻訳では各節の最後に置かれるようになっている(エルヴェ=サン=ドニの訳では省略)。ハイルマンの詩集は1905年の出版だが,ハイルマンの友人であったデーメルも,同じ原詩による詩を1893年に発表している。この詩はハイルマンも自分の詩集の前書きですぐれた訳として紹介しているが,全4節のうちの最初の1節は以下のようである。

        Chinesisches Trinklied (12)     中国の飲酒の歌

Der Herr Wirt hier ─ Kinder, der Wirt hat Wein!
aber lasst noch, stille noch, schenkt nicht ein:
ich muss euch mein Lied vom Kummer erst singen!
Wenn der Kummer kommt, wenn die Saiten klagen,
wenn die graue Stunde beginnt zu schlagen,
wo mein Mund sein Lied und sein Lachen vergisst,
dann weiß keiner, wie mir ums Herz dann ist,
dann wollen wir die Kannen schwingen. -
die Stunde der Verzweiflung naht.
    この店の主人には,諸君,主人には酒がある。
    しかしまだ待て,まだ静かにして,注がないでくれ。
    私がまず君らに悲しみについての歌を歌わねばならない。
    悲しみが来ると,弦が嘆くと,
    灰色の時が鳴りはじめると,
    私の口が歌と笑いを忘れてしまい,
    その時の私の心をを知る者は誰もいない。
    それから我々は徳利を振ろうと思う。
    絶望の時が近づいている。

このデーメルの訳では,各節の最後がすべて「絶望の時が近づいている」というリフレインになっている。マーラーが用いたこのあとのベトゲの訳では,「生は暗く,死も暗い」が各節の最後のリフレインとして《大地の歌》全体のモットーでもあるかのように有名になっているが,このリフレインには,このような背景がある。「悲歌行」は李白の偽作であるという説もあるようだが,当時のヨーロッパでは,この詩は李白の傑作と考えられ,「世界苦を歌う李白」という悲壮かつ壮大なイメージが,この詩によって広まったという (13) 。 ベトゲによる詩は,以下の通りである。タイトルが, Kummer(悲しみ)から Jammer(悲嘆)へとかなり度合いの強いものへと変更されている。

        Das Trinklied vom Jammer der Erde
          大地の悲嘆についての酒宴の歌

Schon winkt der Wein in goldenen Pokalen, -
Doch trinkt noch nicht! Erst sing ich euch ein Lied!
Das Lied vom Kummer soll euch in die Seele (14)
Auflachend klingen! Wenn der Kummer naht,
So stirbt die Freude, der Gesang erstirbt,
Wüst liegen die Gemächer meiner Seele.
Dunkel ist das Leben, ist der Tod.
    黄金の盃の酒がもう手招きしているが,
    まだ飲まないでくれ。まず君らに一曲歌おう。
    悲しみについての歌が,君らの心の中で
    哄笑しながら響くように。悲しみが迫ってくると,
    喜びは消え,歌は途絶える。
    私の心の部屋は荒れ果てる。
    生は暗く,死も暗い。

Dein Keller birgt des goldnen Weins die Fülle,
Herr dieses Hauses, - ich besitze andres: (15)
Hier diese lange Laute nenn ich mein!
Die Laute schlagen und die Gläser leeren,
Das sind zwei Dinge (16), die zusammenpassen!
Ein voller Becher Weins zur rechten Zeit
Ist mehr wert als die Reiche (17) dieser Erde.
Dunkel ist das Leben, ist der Tod.
    お前の酒倉は黄金の酒を豊富に蔵しているが,
    この家の主人よ,私には別のものがある。
    ここにあるこの長い琴は私のもの。
    琴を弾き,盃を空けること,
    これらは調和する二つの事柄。
    時機を得ての盃を満たした酒は
    この大地の富以上の価値がある。
    生は暗く,死も暗い。

Das Firmament blaut ewig, und die Erde
Wird lange feststehn auf den alten Füßen, (18) -
Du aber, Mensch, wie lange lebst denn du?
Nicht hundert Jahre darfst du dich ergötzen
An all dem morschen Tande dieser Erde.
Nur Ein Besitztum ist dir ganz gewiss:
Das ist das Grab, das grinsende, am Ende.
Dunkel ist das Leben, ist der Tod. (19)
    天空は永遠に青く,大地は
    昔からの足もとにずっと存在するであろう。
    しかし人間よ,お前はどれだけ長く生きるのか。
    百年も許されていないのだ,
    この大地のはかない価値のないものを楽しむことを。
    一つだけお前に確実な財産がある,
    それは墓,最後にニヤニヤ笑っているもの。
    生は暗く,死も暗い。

Seht dort hinab! Im Mondschein auf den Gräbern
Hockt eine wild-gespenstische Gestalt.
Ein Affe ist es! Hört ihr, wie sein Heulen
Hinausgellt in den süßen Duft des Abends? (20)
Jetzt nehmt (21) den Wein! Jetzt ist es Zeit, Genossen!
Leert eure goldnen Becher bis zum Grund! (22)
Dunkel ist das Leben, ist der Tod.
    下を見ろ,月光の中の墓の上に
    うずくまっている荒々しい不気味な姿を。
    猿だ。猿の吠える様が聞こえるか。
    晩の甘い香りの中で鋭く響く。
    今こそ酒を取れ。時がきた,仲間よ。
    君らの黄金の盃を底まで空けよう。
    生は暗く,死も暗い。

エルヴェ=サン=ドニの訳詞を忠実にドイツ語にしたハイルマンとは異なり,ベトゲの詩はより自由な翻案という感じがする。マーラーにとって,ベトゲの詩集はまさに時機を得て (zur rechten Zeit) 出版されたという印象を受ける。


    U.第2楽章 「秋に孤独な者」

第2楽章と第3楽章の原詩の解明は最後まで難航したが,この二つの詩を最初にフランス語に訳したユディット・ゴーティエが,忠実に訳したエルヴェ=サン=ドニとは対照的に,かなり自由な改変をまじえて形で翻訳したのが最大の理由である。この第2楽章の原詩とされる銭起の「詩效古秋夜長」とゴーティエの訳詞の間でも,かなりの大きな違いがある。

        效古秋夜長 (23)     古(いにしえ)の秋の長きに效(なら)う
秋漢飛玉霜
北風掃荷香
含情紡織孤燈盡
拭涙相思寒漏長
簷前碧雲靜如水
月弔棲烏啼鳥起
誰家少婦事鴛機
錦幕雲屏深掩扉
白玉窗中聞落葉
應憐寒女獨無衣

秋漢   玉霜   飛び
北風は荷香を掃ふ
情を含みて織を紡げば孤燈尽き
涙を拭い相思ふ   寒漏の長きを
簷前(えんぜん)碧雲   静かなること水の如し
月   栖烏(せいう)に弔(いた)れば 啼鳥起つ
誰が家の少婦、 鴛機(えんき)を事す
錦幕   雲屏   深く扉を掩(おほ)ふ
白玉   窓中   葉の落つるを聞く
憐れむべし、 寒女の獨り衣無きを

この詩の内容は,以下のように解釈できると思われる。

秋の空は玉のように美しい霜を吹き飛ばし,
北風はハスの花の香りをきれいさっぱりとなくしてしまう。
夫のことを思いながら織物を織っていると,孤燈の火も消えてなくなる。
涙をぬぐいながら,寒々とした水時計の音の長さを思う。
軒先に見える青くすんだ雲は,水のように静かである。
月がねぐらの烏を照らすと,鳥の鳴き声が起きる。
織機でオシドリの模様をつける仕事をしているのは,どの家の若い妻だろう。
錦でつくった布と雲をかたどったついたてが扉を覆い隠している。
白玉のような窓の内側では,葉の落ちる音が聞こえる。
寂しい女の一人で悲しんでいる姿を憐れんで欲しい。

この詩のフランス語訳とされるゴーティエの詩には,かなり自由な改変がある。

        Le soir d'automne (24)     秋の夜

La vapeur bleue de l'automne, s'étend sur le fleuve; les petites herbes sont couvertes de gélee blanche,
Comme si un sculpteur avait laissé tomber sur elles de la poussière de jade.
Les fleurs n'ont déjà plus de parfums; le vent du nord va les faire tomber, et bientôt les nénuphars navigueront sur le fleuve.
Ma lampe s'est éteinte d'elle-même, la soirée est finie, je vais aller me coucher.
L'automne est bien long dans mon cœur, et les larmes, que j'essuie sur mon visage, se renouvelleront toujours.
Quand donc le soleil du mariage viendra-t-il sécher mes larmes?
    秋の青々とした霧が川の上に広がる。小さな草は白い霜に覆われている。
    まるで彫刻家がその上にヒスイの粉末を落としたかのように。
    花々はもう香りがしない。北の風がそれを失わせたのだ。まもなくハスが川の上を流れていくだろう。
    私の灯火は自然に消え,夜も終わり,私は寝に行くところだ。
    秋は私の心の中では十分に長い。私の顔の上でぬぐう涙は,ずっと繰り返し流れ続けるだろう。
    いつになったら結婚の太陽が私の涙を乾かしに来てくれるのだろうか。

原詩の冒頭部分(霜,ハスの香りなど)はそのまま利用されている。孤燈も登場するが,「私の灯火」というように,一人称の所有代名詞がついている。後半も,原詩では第三者の立場から寂しさが客観的に叙述されているのに対し,ゴーティエの訳では,一人称の視点から書かれているという大きな違いがある。原詩は少婦,すなわち若い妻が夫の不在を寂しく思っているのに対し,フランス語訳では「結婚の太陽」が突如として登場していることから,まだ結婚していない女性の寂しさを表現しているといった違いもある。こうした点から,この詩の原詩を銭起の「效古秋夜長」とすることには否定的な見解もあるが,浜尾氏はゴーティエの翻訳にあたっての全般的な改変の特徴についても考察しながら,原詩が銭起のこの詩であることみなすことは妥当であるとしている。(25)

ハイルマンは,このゴーティエのフランス語の内容を,ほとんどそのままドイツ語に訳している。行数も同じ6行である。ただし,タイトルには「孤独な者」という表現がつけ加えられる。

        Herbstabend der Einsamen (26)     孤独な者の秋の夜

Die bläulichen Herbstnebel ziehn über den Strom; die kleinen Gräser sind vom Reif bedeckt,
Als hätte ein Bildhauer Staub von Jade über sie fallen lassen.
Die Blumen haben ihren Duft verloren, der Nordwind beugt sie nieder, und bald werden die Blätter der Lotosblüten auf dem Wasser schwimmen.
Meine Lampe verlischt, Mitternacht bricht herein, nun will ich mich auch zur Ruhe legen.
In meinem Herzen ist es schon lange Herbst geworden, und ich weine in meiner Einsamkeit.
Wann wird die Sonne der Liebe kommen und meine Tränen trocknen?
    秋の青々とした霧が川の上を流れる。小さな草が霜に覆われている。
    まるで彫刻家がヒスイの粉末を草に落としたかのように。
    花は香りを失った。北風が花をへし曲げる。まもなくハスの花の葉は水の上を流れていくだろう。
    私の灯火は消え,真夜中が忍び寄る。私も就寝するつもりだ。
    私の心の中は,もう秋になった。そして孤独の中で涙を流す。
    いつになったら愛の太陽がやってきて,私の涙を乾かしてくれるのだろうか。

ゴーティエと大きく異なるのは,「結婚の太陽」が「愛の太陽」に変わった点であろう。 ベトゲは,ハイルマンの6行の散文詩を4節(各節4行)からなる詩に翻案する。

        Die Einsame im Herbst     秋に孤独な者

Herbstnebel wallen bläulich überm Strom, (27)
Vom Reif bezogen stehen alle Gräser,
Man meint, ein Künstler habe Staub von Jade
Über die feinen Halme (28) ausgestreut.
    秋の霧が青々と川の上を流れる。
    すべての草が霜に覆われている。
    芸術家がヒスイの粉末を
    細い茎の上にまいたように思われる。

Der süße Duft der Blumen ist verflogen,
Ein kalter Wind beugt ihre Stengel nieder;
Bald werden die verwelkten goldnen Blätter
Der Lotosblüten auf dem Wasser ziehn.
    花々の甘い香りが消え失せ
    冷たい風がその茎をへし曲げる。
    ハスの花のしおれた黄金の葉は
    まもなく水の上を流れるであろう。

Mein Herz ist müde. Meine(29) kleine Lampe
Erlosch mit Knistern, an den Schlaf gemahnend. (30)
Ich komme zu dir, traute Ruhestätte(31), -
Ja, gib mir Schlaf(32), ich hab Erquickung not!
    私の心は疲れている。私の小さな灯火は
    ぱちぱち音をたてて消えた,眠りへ促すように。
    私はお前のもとへ行こう,心地よい憩いの場所へ。
    どうか眠りを与えて下さい,私には気力回の復が必要なのだから。

Ich weine viel in meinen Einsamkeiten,
Der Herbst in meinem Herzen währt zu lange;
Sonne der Liebe, willst du nie mehr scheinen,
Um meine bittern Tränen(33) aufzutrocknen?
    私は孤独の中でたっぷりと涙を流す。
    私の心の中の秋は,あまりにも長く続く。
    愛の太陽よ,お前はもう二度と輝くつもりはないのだろうか。
    私の苦い涙を乾かすために。

マーラーによる歌詞の細かな変更は注に記した通りだが,タイトルにも変更が加わる。ピアノ稿の段階では,ベトゲのDie Einsame im Herbstをそのまま使っているが,管弦楽版では,Der Einsame im Herbst と孤独な者が女性形から男性形に変えられるのである。原詩は明らかに女性の寂しさを歌い,ベトゲに至るまで踏襲されているが,《大地の歌》では,孤独な者が女性に限定されず,男女の性別を超えた人間一般の孤独ということにしたかったのであろうか。 なお,この詩におけるいくつかのキーワードの対照は,以下の通りである。

    銭起     Gautier Heilmann Bethge
 霜     geleè   Reif   Reif
    culpteur(彫刻家)   Bildhauer(彫刻家)   Künstler(芸術家)
 北風     le vent du nord   Nordwind   ein kalter Wind (冷たい風)
    soleil du mariage(結婚の太陽)   Sonne der Liebe(愛の太陽)   Sonne der Liebe(愛の太陽)


    V.第3楽章 「青春について」

第2楽章に続き,この楽章の原詩も,ゴーティエのフランス語訳に由来する。この楽章の原詩は,はじめに触れたように,浜尾房子氏の研究により解明された。それによると,李白の「宴陶家亭子」が原詩で,ゴーティエによる「陶器の亭」というタイトルは誤訳に基づくものだという。原作は陶氏の亭であり,陶氏という人名を,陶器と誤解したというのである。なお,大野氏によれば,この詩は「李白が知人陶氏の庭園に遊び酒を飲んで楽しんだ時の作」とのことであるが,陶氏がどういう人物であったかはわからないという。(34)

        宴陶家亭子 (35)     陶家の亭子に宴す

曲巷幽人宅
高門大士家
池開照膽鏡
林吐破顏花
告藏春日
青軒秘晩霞
若聞弦管妙
金谷不能誇

曲巷(きょくこう)幽人の宅
高門大士の家
池は開く照膽(しょうたん)の鏡
林は吐く破顏の花
告春日を藏し
青軒晩霞を秘す
若し弦管の妙を聞かば
金谷も誇ること能はず

大野氏の『李太白詩歌全解』では,次のように大意が説明されている。

陶氏は世俗を離れ幽棲している人で,その棲む宅は曲りくねった小路のうちに在ると言っても,
やはり高門をしつらえた美しい構えの家である。
その家宅の庭には池を造ってあり,その池の水の澄みきっていることは人の姿だけでなくその魂膽までも照らすほどであり,
その林には昔迦葉尊者が破顏微笑したといわれる美しい花が咲いている。
高ざやかな池水の中には春の日の太陽の影が映っており,
また青く塗った軒端には夕暮時の霞が色美しく照り映えている。
その環境においてもし管弦の音楽を聞くことができたとするならば,
あの晋の昔石崇が洛陽の西北金谷の谷間に営んだ別邸で行った楽しみもなお誇ることができないほどに興趣ゆたかなものである。
この詩のゴーティエによるフランス語訳は,以下の通りである。
        Le pavillon de porcelaine (36)     陶器の亭

Au milieu du petit lac artificiel, s'élève un pavillon de porcelaine verte et blanche; on y arrive par un pont de jade, qui se voûte comme le dos d'un tigre.
Dans ce pavillon, quelques amis, vêtus de robes claires, boivent ensemble des tasses de vin tiède.
Ils causent gaiement, ou tracent des vers, en repoussant leurs chapeaux en arrière, en relevant un peu leurs manches,
Et, dans le lac, où le petit pont, renversè, semble un croissant de jade, quelques amis, vêtus de robes claires, boivent, la tête en bas dans un pavillon de porcelaine.
    小さい人造湖のまん中に,緑と白の陶器の亭が立っている。そこへは,虎の背中のように湾曲したヒスイの橋で行ける。
    亭の中では数名の友人達が薄色の服を着て,生温い酒の杯を一緒に飲んでいる。
    彼らは陽気に語りあったり,詩を書いたりしている。帽子は後ろに押しやったり,袖を少し上げたりしながら。
    小さい橋が上下逆さになってヒスイの三日月のように見える湖では,薄色の服を着た友人達が陶器の亭の中で逆さになって飲んでいる。

ゴーティエが,陶氏(人名)を陶器と取り違えたことが,この楽章の原詩の究明が一番遅れた原因であることは先に触れた。ただし,漢字文化圏の日本人にとっては納得できる説ではあっても,欧米の研究者にとっては判断がつきかねるためか,ゴーティエのこの詩の原作を「宴陶家亭子」とすることには,まだ態度を留保しているような印象が強い。また,原詩での「管弦の音楽を聞いて宴を催せば素晴らしいであろう」という仮定の表現が,実際に宴を催している設定になっているのも大きな違いである。もちろん,原詩には橋も友人も出てこない。 ゴーティエの4行からなるフランス語の散文詩を,ハイルマンはほとんど同じ内容の4行のドイツ語の散文詩としてまとめている。

        Der Porzellan=Pavillon (37)     陶器の亭

Mitten in dem kleinen künstlichen See erhebt sich ein Pavillon aus grünem und weißem Porzellan; man gelangt zu ihm auf einer Brücke von Jade, die sich wölbt wie der Rücken eines Tigers.
In diesem Pavillon sitzen die Freunde, in lichte Gewänder gekleidet beim Wein.
Sie plaudern lustig mit einander oder sie schreiben Verse nieder; dazu stoßen sie ihre Hauptbedeckungen zuruck und streifen ein wenig die Ärmel auf.
Und in dem See, in dem die kleine Brücke umgekehrt gleich einem Halbmond von Jade erscheint, trinken die Freunde, in lichte Gewänder gekleidet, auf dem Kopfe stehend, in einem Pavillon von Porzellan.
    小さな人造湖のまん中に,緑と白の陶器でできた亭が立っている。そこへは,虎の背中のように湾曲したヒスイの橋で行ける。
    この亭には友人たちがすわり,明るい色の服に着飾って,酒宴の最中である。
    彼らは互いに楽しいおしゃべりをしたり,詩を書いたりしている。彼らの帽子は後ろにずれ,袖が少し擦りあがっている。
    小さい橋がヒスイの半月のように逆さに見える湖面では,明るい服に着飾った友人たちが,陶器の亭の中で逆さになって飲んでいる。

ゴーティエに起因するこうした内容の詩については,「女史自身がなにかの中国の絵画か,それこそ陶器の装飾画かなにかを見て,それに刺戟されて作った,一種の創作詩であったと考えられる」(38) と考える方が,むしろ合理的とさえ言えるかもしれない。この詩も当時は人気のあった詩のようで,ハイルマンは詩集の前書きで,ベームによるゴーティエの詩集の翻訳から,同じ詩を紹介している。この詩のイメージを視覚化したような感じになっている。(39)


G.Böhm: Der Pavillon von Porzellan (1873)

さて,ベトゲは7節(各節3行)の詩として翻案した。

        Der Pavillon aus Porzellan     陶器の亭

Mitten in dem kleinen Teiche
Steht ein Pavillon aus grünem
Und aus weißem Porzellan.
    小さな池のまん中に,
    緑と白の陶器でできた亭が立っている。

Wie der Rücken eines Tigers
Wölbt die Brücke(40) sich aus Jade
Zu dem Pavillon hinüber.
    虎の背中のように丸みを帯びて,
    ヒスイでできた橋が亭にかかっている。

In dem Häuschen sitzen Freunde,
Schön gekleidet, trinken, plaudern, -
Manche schreiben Verse nieder.
    その小屋には友人たちが座り,美しく着飾り,酒を飲み,談笑している。
    詩を書きつける者も多くいる。

Ihre seidnen Ärmel gleiten
Rückwärts, ihre seidnen Mützen
Hocken lustig tief im Nacken.
    彼らの絹の袖は後ろにすべりまくれ,
    絹の帽子は首筋深くに愉快にのっかている。

Auf des kleinen Teiches stiller
Oberfläche (41) zeigt sich alles
Wunderlich im Spiegelbilde:
    小さな池の静かな水面に,
    すべてのものが鏡像のように奇妙に映っている。

Wie ein Halbmond scheint der Brücke
Umgekehrter Bogen. Freunde,
Schön gekleidet, trinken, plaudern,
    半月のように,橋の逆さの弓形曲線が輝いている。
    友人たちは,美しく着飾り,談笑している。

Alle auf dem Kopfe stehend,
In dem Pavillon aus grünem
Und aus weißem Porzellan.
    緑と白の陶器でできた亭では,
    すべてのものが逆立ちしている。

ベトゲに対して,「ベトゲの訳詞にはしばしば繊細であるとともに華麗な色彩やニュアンスに色どられている,まるで初期印象派の絵画でも見るような趣きがある」(42) との評価があるが,この詩はまさにそれに妥当するように思われる。なお,細部の語句の違いとしては,「池」に相当する単語が,ゴーティエとハイルマンでは「小さな人造湖」であったのが,ベトゲでは「小さな池」となっている。また原詩の「鏡」に相当するような「鏡像 (Spiegelbilde)」という単語がベトゲでは使用されており,翻案詩であるベトゲの方で,李白の原詩に近い語彙が用いられているのが興味深い。

    李白     Gautier Heilmann Bethge
池  
  petit lac artificiel     der kleine künstliche See     der kleine Teiche  

マーラーは作曲にあたり,注に記した細部の語句の改変の他に,ベトゲの詩の最後の6節目と7節目を入れ替えている。またタイトルについても,ピアノ稿の段階では,ベトゲと同じ「陶器の亭」としているが,管弦楽版の段階で「青春について」と変えている。この変更は,このあとの第4楽章の「岸辺で」から「美について」への変更と軌を一にしている。「個別的・具体的なタイトルをより一般的・抽象的なものに変えようとする方向性」(43) を見てとることに異論はない。


(1)   吉川幸次郎: マーラー「大地の歌」の原詩について 〔『増補吉川幸次郎全集』 第24巻(筑摩書房) 1976,208〜218頁〕

(2)   富士川英郎: 西東詩話 (玉川大学出版部) 1974, 269〜306頁。

(3)   La Grange, Henry-Louis de: Gustav Mahler III: Le génie foudroyé. Paris (Fayard) 1984.

(4)   1985年のミチェルの研究書では,ベトゲの2年前に出版されたハイルマンのドイツ語訳も載せられている。また,第2楽章については原詩不明説の立場に立ち,「效古秋夜長」を原詩とする説には否定的である。 Mitchell, Donald: Gustav Mahler. Songs and Symphonies of Life and Death. Woodbridge (Boydell) 2002(1985).

(5)   浜尾房子: マーラーの「大地の歌」と「陶器の亭」 〔『音楽芸術』第47巻第11号, 1989, 62〜66頁〕。

(6)   フランス語への翻訳以降の系譜は Mitchell: a.a.O., S.440. による。長木誠二:グスタフ・マーラー全作品解説事典 (立花書房) 1994, 194頁にも同様の表がある。

(7)   こうした人名まで訳すと,詳しい注が必要になるであろうという指摘もなされている。 Mitchell: a.a.O., S.164.

(8)   大野實之助:李太白詩歌全解(早稲田大学出版部) 1980, 1289〜1291頁。

(9)   La Grange: a.a.O., S.1134.

(10)   Heilmann, Hans: Chinesische Lyrik vom 12.Jahrhundert v. Chr. Bis zur Gegenwart. München u. Leipzig (Piper) 1905, S.54f.

(11)   Heilmann: a.a.O., S.138.

(12)   Heilmann: a.a.O., S.XLVII.

(13)   富士川英郎:前掲書,277頁。

(14)   ここからの4行を,マーラーは次のような3行にまとめている。
    Das Lied vom Kummer soll auflachend in die Seele euch klingen.
    Wenn der Kummer naht, liegen wüst die Gärten der Seele,
    welkt hin und stirbt die Freude, der Gesang.

(15)   この節の最初の2行を,マーラーは以下のように変えている。
    Herr dieses Hauses!
    Dein Keller birgt die Fülle des goldenen Weins!

(16)   マーラーの管弦楽版では, zwei Dinge die Dinge に変更。

(17)   マーラーでは, die Reiche alle Reiche に変更。

(18)   マーラーでは, auf den alten Füßen の部分を und aufblü'n im Lenz に変更。

(19)   マーラーでは Nur からこの行までの3行が削除されている。

(20)   マーラーの管弦楽版では, des Abends des Lebens に変更。

(21)   マーラーの管弦楽版では, nehm

(22)   マーラーでは bis zum Grund zu Grund に変更。

(23)   田部井文雄編: 銭起詩索引 (汲古書院)1986, 17頁。なお,読み下しにあたっては,筆者の担当した香川大学教育学部でのドイツ語学概論(1993年度)の提出レポート「 "Der Einsame im Herbst" (秋に寂しき者)の英語訳と原詩との比較」(中国語文化専攻:奥田尚子)を参考にした。

(24)   La Grange: a.a.O., S.1140. Mitchell: a.a.O., S.209.

(25)   Hamao, Fusako: The Sources of the Texts in Mahler's Lied von der Erde. In: 19th Century Music, XIX/ 1(1995), S.83-95.

(26)   Heilmann: a.a.O., S.89.

(27)   マーラーのピアノ稿では Strom(川)のままであるが,管弦楽版では See(湖)。

(28)   マーラーでは, Halme(茎)を Blüten(花)に変更。

(29)   マーラーのピアノ稿では Deine と二人称になっているが,管弦楽版ではまた一人称に戻っている。

(30)   an den Schlaf gemahnend がマーラーでは, es gemahnt mich an den Schlaf に改変。

(31)   マーラーはピアノ稿で Dammerstätte に変えたが,管弦楽版では Ruhestätte に戻した。

(32)   マーラーでは, Schlaf (眠り) を Ruh (休息)に変更。

(33)   このあとに,ピアノ稿では sanft,管弦楽版では mild が挿入。

(34)   大野實之助:前掲書,88頁。

(35)   大野實之助:前掲書,88頁。

(36)   La Grange: a.a.O., S.1144.   Mitchell: a.a.O., S.245.

(37)   Heilmann: a.a.O., S.53f.

(38)   富士川英郎:前掲書,312頁。

(39)   Heilmann: a.a.O., S.LI.   ミチェルもハイルマンの序文から,この同じ詩を引用して紹介している。 Mitchell: a.a.O., S.463.

(40)   マーラーのピアノ稿では Rücken(背) となっているが,管弦楽版では Brücken(橋) に戻っている。

(41)   マーラーの管弦楽版では, Wasserfläche(水面)に変更。

(42)   マーラーでは, der Brücke(2格)は die Brücke(1格)に,次行は Umgekehrt der Bogen に変更。また管弦楽版では,動詞も scheint から steht に変更。

(43)   富士川英郎: 前掲書,293頁。

(44)   渡辺裕: 交響曲《大地の歌》 〔根岸一美,渡辺裕監修: ブルックナー/マーラー事典 (東京書籍) 1993, 359〜367頁〕, 364頁。