2000年4月

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 岡田は、4月10日から、カリフォルニア大学バークリー校の客員研究員になった。渡米以来、「掲示板」コーナーに書きためた日記が増えてきたので、分離して整理することにした。他人のためになるのかどうかも良くわからないまま公開してしまうが、もし将来にわたって役立ちそうな情報がある場合には、そのうちに、もうちょっと良く吟味してから改めて公開するつもりである。是非、ご意見をお寄せ頂きたい。
 なお、掲示板から分離・公開するにあたって、基本的な誤植は訂正したが、ほとんどは書き込み当時の原文のままである。

★カリフォルニア 4/13

 時差ボケと闘いながら、仕事をこなそうと無理をすると祟る。ちょっと疲れが溜 ってきた。今日は、住宅・車情報の整理と、日本からの送金手続きで1日が終了。 ...っていうと何もしてないかのようだけど、こまごまとしたことをこなすのって、 結構大変なのよね...。体を壊さないように気を付けながらやっていこうと思う。

 UNIX の1大系統 BSD の生まれの地でありながら、あまりインターネット環境 は良くない。Visiting Scholar のための専用線まで引く予算は、なかなか確保 できないということらしい。今は、研究室の電話からアナログ・ダイアルアップを するという状態。ちょっと、びっくり。3月中に申し込んでおいた E-mail アカ ウントもまだ出来ていない。相変わらず、kagawa-u.ac.jp を使ってメイルを書 いている。でも、まぁ、こんなもんか。
 なにしろ、すべてにおいて日本とペースが違う。すべての物事がゆっくりと進み、 せっかちな日本人が、いらいらしそうな場面に何度も出会う (つまり私はせっか ちなのだ)。今日は、郵便局の窓口で40分待った。

 カリフォルニアの交通事情は、日本と大きく異なる。とにかく徹底した歩行者優 先主義。横断歩道の前に立てば、すぐに車が止まる。遅い車や人を押し退けるため にクラクションを鳴らしたりはしない。
 横断歩行者がいても「絶対に止まらない」、車優先社会の某K川県とは大違い。 日本国内では、長野県が、相対的に歩行者や交通弱者にやさしい、と思っていたが、 それもカリフォルニアとは比較にならぬ。

★カリフォルニア4/14

 日本時間は、もう土曜日だが、こちらは最後の平日=金曜日。月曜日にフライト してきたから、時差の関係で、今週は平日が16時間も長かった。ちょっと、損した 気分。
 今日は、地図と睨めっこしながら、住宅情報を徹底的に整理した。大家 (または 管理人) とアポイントをとったので、明日は、実際に物件を見に行く予定。
 車探しの方は、大いに進展があった。ついに、売買契約までこぎつけた! 契約 した車は、1995年 HONDA Civic LX 4door,6500ドル也。連日、新聞を見て いて気づいたのだが、アメリカ (カリフォルニア) の中古車の価格水準は、日本よ りも高い。最初は、皆がぼったくろうとしているかと思ったが、こちらでは、車を、 とにかく徹底的に乗り続けるので中古車の評価も高くなるらしい。何しろ、1985年 車なんてものが当然のように取り引きされているし、ときどき70年代の車さえ見掛 ける。
 中古車市場での価格設定も、割としっかりとしていて、Kelley Blue Book (www.kbb.com) が、年式、車種、コンディションを考慮した売買値を示している。 今日契約した車は、このブルーブックでは、Good Condition で 7100ドル。売り 手も、ちゃんと市場価格を調査した上で、ボンネットの小さなへこみを修理した場合 の400〜600ドルという値段を差し引いて、6500ドルという値段を提示していた。最 初の情報には、値段応相談 (/bo: or Best Offer) とあったが、ちゃんとした価 格の設定の仕方とその説明に感嘆して、提示額をそのまま受け入れることにした。ボ ンネットのへこみ以外は、とにかく丁寧に乗り続けていたことが見てとれたし、オイ ル交換もちゃんとしているようで、エンジンも快調だった。本取引 (納車と支払) は4月24日。この日が待ち遠しい。

★JAPAN Town 桜まつり 4/16

 生活を立ち上げるにあたって、いろいろな人にお世話になっている。UC Berkeley のスタッフはもちろんだが、友人からもいろいろな情報をもらっている。先行してバー クリー近郊に在住している、とある友人には特にお世話になっており、渡米前からいろ いろ有益な情報をもらってきた。今日、その友人と渡米後初めて会った。今日は、San Francisco, Japan Town の Cherry Blossom Festival 2000 の最終日。4日 間に亙るイベントだったが、フィナーレを飾る Grand Parade が見れるということ もあり、この友人と一緒に見に行くことにした。

 話がお祭りの方に脱線するが、露天で、うどん($4.00)とうなぎ($5.75)を食べ た。うどんは、ほぼ1週間ぶり。讃岐うどんまではいかないが、なかなか良い出来で おいしかった。うなぎもうまかった。パレードは、日系人による和太鼓などの音が JAPAN Town の街に響いてなかなか心地よいものだった。

 その後、この友人の車に乗せてもらい、2つの Apartment を見に行った。昨日 (15日) のアパート探しでもそうだったが、物件を見るたびに、Bay Area 周辺で、 良い物件を見付けることの困難さを再確認するだけに終った。何しろ、全米一家賃の 高い地域。高家賃を覚悟するか、安全性や広さを犠牲にして安く済ませるか。結局、 前者の選択肢しかないと考えているが、我が安月給では、給与の 75% ほどを家賃に 当てることになってしまう...。まさに Affordability Problem だ。

 次の家探しは、水曜日以降。
 レンタカーを借りて、広い範囲を探し回ろうと考えている。どうなることやら...。

 明日(月)、明後日(火)は、所属するセンター主催で、大きなカンファレンスが準備 されており、私も出席する予定。

★2週目に突入 4/17

 渡米してから丸1週間がたった。時差ボケもそろそろ解消へ向かっている。今日は、 所属するセンターで、The Roles of Japan in 21st Century Asia というセッ ションが開かれた。Keynote Talk に立ったのは日本人で、英語苦手(!?)の私もさ すがに聞き取れた。が、会場からの Native Speaker の早口の質問はキャッチでき ず (;_;) 。耳をトレーニングせねば...。この Conference は、明日も続く。

 夕方からは家探し。入手できた Housing Information を吟味して、とりあえず 大家 (管理人) に電話をかけまくる。水曜日からの本格的な家探しのための appointment がとれた。今週後半は、徹底的に家を探して回りたい。
 他の Visiting Scholar たちからも、いろいろな情報を得ているが、いずれも、家 を決めるまでに、早くて3週間、あるいはそれ以上の時間がかかっている。それほど、 良い物件は不足している。電話をかけた物件のうちでも、あっという間に、借り手が決 ってしまっているというケースもある。大家たちも、そんな事情を理解しているからか、 激励の言葉をかけてくれたり、家探しのちょっとしたノウハウを教えてくれたり、他の 知り合いの大家を紹介してくれたりするケースがある。困難の中でちょっとした励みに なっている。

★家探し 4/21

 4/19-21 の3日間、レンタカーを借りて家を探しまくった。19日はバークリー近郊の East Bay 周辺、20日は UC Berkeley のライブラリアンの情報を得て、Lafayette, Walnut Creek, Pleasant Hill など、少し内陸部に入った『郊外』の住宅を見て回 った。移動距離は、地図上の直線距離を概算して、だいたい110マイル(180km)。車のメ ータをチェックするのは忘れたが、実走行距離は、この 1.x 倍といったところだと思う。
 渡米以来、地図と睨めっこして検討した住宅情報40件余り、実際に見に行った物件10 件余り、真剣に検討に値すると考えて内部を詳細に見た物件4件。今日、その内の1件に 住むことに決めて、夕方、大家と賃貸契約を取り交わした。契約開始日は 5/1。

 家を決めるにあたって、一番の鍵となったのは、自分のアメリカ生活をどういうふうに 設計するかということだった。アドバイスをしてくれたライブラリアンは、それが「住宅 を決める際の最も重要な要件だ」と、何度も繰り返していた。ようするに、人種のるつぼ・ 混沌とした生活スペースの中 (Berkeley周辺) で暮らすのか、それとも「安全」「快適」 で安定的な、白人が中心的に居住している郊外の家 (Walnut Creek 周辺) に住むのか、 という選択肢である。
 自分の研究は、自然科学でも人文科学でもない。社会科学だから、社会生活を見ること 自体が、(二次的ながらも) それ自体が研究である。だから、必ずしも「安全」「快適」 だけを求めはしない。結局は、富裕層が都市の中央部から郊外に脱出して作り上げた安全 ・快適なスペースに埋没して住む気はしなかった。
 契約したのは Berkeley 近郊の住宅である。うまく言葉では言い表せない部分もある が、「安全で何の心配もない網を張られた区域」よりも、混沌とした雰囲気のある地域の 方が自分にあっていると思う。

 とはいっても、もちろん基本的なセキュリティについては十分に注意を払ったつもりで あるし、決して家賃は安くない。2 bedrooms 1 Bath, $1270 也。現在の為替レート で換算して、手取り月給の65%が家賃。本当にこんなんで、やっていけるのか?

★海外送金で大ポカ 4/23

 結果的に解決をしたことを今から暴露することになるが、実は、海外送金の手配で大ポ カをやってしまった。渡米前に考えていたプランでは、日本の CITI Bank のドル預金 口座から電話一本で、すぐにアメリカ現地の口座に送金が出来ると勘違いしていた。  アメリカへ到着した 4/10 当日に、Union Bank of California の銀行口座を開い て、CITI Bank へ送金を依頼した。ところが、送金のためには、書面による事前の登録 が必要で、それがないと送金はできないという。しかも、「書面が届いてから、登録まで に1週間ぐらいかかります」の回答。
 「書面による登録!?」つまり、書類を入手してサインして、日本へ送って、登録が済 むまで、どんなに早くても10日、普通に考えて2週間以上かかる計算になる。賃貸住宅の 契約や車の購入といった、生活を立ち上げるための基礎的な資金が用意できないというこ とになる。トラベラーズ・チェック 2000 ドルとクレジットカードは持っていたが、そ れでは全然足りない。至急、登録のための書面を FAX で取り寄せ、Air Mail で13日に CITI Bank へ送付したが、21日(金)の時点でも未だ登録が終っていない。
 渡米前には、わざわざ CITI Bank の支店へ赴いて、海外送金を含めた海外滞在中の 口座の使い方のノウハウについて、アドバイスを受けにいっているのである。その時に、 「登録のための書面」をくれてもよかったと思うが、書面をくれるどころか、登録期間に ついての注意もしてくれなかった。説明を受けたのは「電話一本で送金できますから便利 ですよー。」との言葉。今から考えると、たちが悪いだけのだだの宣伝文句だ。

 結局、いろいろな支払に間に合わないことに気づいた時点で、日本にいる親に頼み込ん で送金してもらい、後日、自分の CITI Bank 日本円口座から親へ逆送金して返済するこ とにした。現在は、親から送ってもらったお金も届き、何とかいろいろな決済が出来てい る。

 しかしながら、世の中には用意周到な人がいるものである。同じセンターに所属するあ る日本人 Visiting Scholar は、日本にいる間に Union Bank of California の 口座を開いて、CITI Bank の送金登録まで済ましていたらしい。 Union Bank of California は、東京三菱銀行(? ちょっと記憶不正確)だかを通して、日本からでも口 座の開設が出来るそうである。

 完璧なる準備をしてきたつもりだったのに、ポカをやってちょっとショック...。

★生活の立ち上げ、本格的に始まる 4/25

 生活立ち上げのためのいろいろな準備が本格的に始まった。昨日(4/24)は、電気・ガ ス、水道、電話、ゴミ回収のそれぞれの会社に、サービス供給の申し込みを電話で行な い、今日、自宅で待機して、電気・ガス・水道の開栓をしてもらった。ようやく、契約 日 5/1 (頃)から、本格的に住み始めるための最初の準備が出来たというわけである。  賃貸住宅では、大家が、これらのユーティリティのうちのいくつかを負担してくれる 場合が多い。たいがいは、ゴミ回収と水道の費用が大家持ちになっている。しかし、私 が契約した家は、すべて、自分で契約して支払をしなければならないというものだった (もっとも、これが極端に珍しいというわけではない)。
 これらの契約をするうちに感じたことは、アメリカでは、基本的なユーティリティで さえ、実に多くの選択肢が用意されているということだ。電気・ガスの供給会社では、 「電気・ガスを供給する会社はたくさんあります。あなたから、我が社と契約する明白 な意志があるかどうかを確認する必要があります。」といわれて、「はい、貴社と契約 することを希望します。」といわねばならなかったし、ゴミ回収業者でも、ゴミの回収 に3つ程のコースがあって、そのうちの一つを選択させられた。
 一番往生したのは電話会社との契約だった。何しろオプションだらけで、日本みたい にお任せコースのようなものは用意されていない。屋内回線の保証料がどうのこうの、 インターネット接続時の伝言録音サービスがどうのこうの、と、無数のオプションを突 き付けられた。一番まいったのは、域内遠距離電話 (Local Toll Call) と、長距離 (域外)電話 (Long Distance Call) の接続会社の指定だった。電話線を引いてくれ る地域電話会社との契約と、これらの会社との契約は別になっていて、しかも、それぞ れの会社が100社以上あるというのである。日本も長距離電話会社は数社ある。しかし、 100社以上となると比べものにならない数である。そこから「選べ」といわれても選べ ない。
 結局、Local Toll Call 会社を適当に選択して、Long Distance Call の方は、 後日指定するということにした (指定するまで、域外電話はかけられないらしい)。

 明日からは、生活立ち上げのための次の段階に移る。

 ちなみに、先日書いた CITI Bank 海外送金の登録は、アメリカ西海岸時間の25日 にようやく完了し、本日、送金の指示を出しておいた。

★Trouble 転じて福となす 4/28

 契約した新居は、築は古いが裏庭付きの一軒家である。
 この家には、表の通りから裏庭に通じる狭い通路がある。そこには扉があるのだが、 錠が壊れていて鍵を閉めることができなかった。安全な地域だとは聞かされているし、 裏庭と建物の間の出入口も、鉄扉付きの2重扉になっているので、通路の錠が壊れてい ても、まぁ、安全性には問題がないだろうとは思う。しかし、それでも、誰もが裏庭に 自由に出入りができるというのでは気持ちが悪い。
 そこで、4/25 夕方に、壊れて放置されていた錠前を、隣家との境界の塀に釘で打ち つけて扉を修復した。ところが気持ち悪い事件がおきたものである。翌26日、掃除と荷 物の搬入のために、お昼頃に、新居に到着して見れば、錠が外れて、この扉が風に揺れ ているのである。よく見れば、錠前は、明らかに人為的に取り外されていた。戦々恐々 として、最低限必要な用事だけを済ませて、早々に退散。近くのショッピング・プラザ の公衆電話から大家に電話をかけ、事の概要を留守番電話に吹き込んだ。夜になって、 大家から我が仮宅へ電話があった。明日、自宅前で会おうという。
 27日午後4時、大家と会い、壊された錠を前に、改めて、事の子細を説明。大家は、 すぐに事態を飲み込んだ様子で、隣家へ話し合いに行くといった。私は、Can I go with you? と聞いてみた。大家は、ちょっと間をおいて、「本当に一緒に来るか?」 と念を押すので「もちろん、行く」と答えた。
 緊張の隣家訪問は、やはり緊張した会話から始まった。この家には、老夫婦が二人で 住んでいた。隣家の主人曰く、「我が財産 (my property) を断りもなく傷つけられ たんだ。取り外して何が悪い!」
 異国の生活で、私も少し、身の回りがよく見えていなかったかも知れない。錠前を釘 で打ちつけた塀は、確かによく見れば隣家が立てたものである。そこへ勝手に釘を打っ たので、怒って取り外してしまったらしい。大家は、私に代わって、すかさず、うまく 謝罪の言葉をいれてくれた。しかも、彼は It's MY mistake. といった。本来は私 の mistake であるにもかかわらず、大家が代わって、かばってくれたのである。

 ただ、全体の事情はちょっと複雑だった。取り外された錠前は、そもそも10年程前に 最初に取り付けられたもので、その時には、隣家の塀を傷つけることの代償として、大 家が、いくらか隣家にお金を支払っていたらしい。その錠前は、6年ほど前に入居した前 の住人が「遮るものがあることは、却って煩わしい」との理由で自ら取り外していたと いう。
 明らかに、長い間、錠前が取り付けられていた跡が塀に残っている。しかし、取り外 されたままになっていた期間が長かったこともあって、隣人は、そのことを忘れていた か、最初の契約は終ったものと考えていたらしい。とにかく、大家と隣人の間で、10年 程前からの事実関係をたどること + (緩衝剤としての) 世間話を含めて、1時間程の 話し合いが行われた。
 結局、大家が「今回のことは、私の過ちであるし、お詫びと、代償の意味を込めて、 もう一度、いくらか、お金を払おう。」という申し出をしたのに対して、隣人が、「い や。一言、ことわってさえくれれば、錠を取り付けても構わない。金はいらない。」と の話に落ち着くことになった。

 話し合いの間は、緊張の汗が、背中にだらだらと流れ落ちた。しかし、終ってみれば しごく平和なものである。改めて、隣人としての挨拶...というか自己紹介をかわした。  そして、奥さんから「引っ越したばかりなら、いろいろ必要なものもあるでしょう。 家には、もらっていって良いものがたくさんあるよ。」といわれ、ガレッジに案内され、 「ここにあるものは、どれでも持っていっていいよ。」と大変ありがたいお言葉を頂く ことになったのである。
 とにかく、何も持っていなかった。だから、ガレージの中に並んでいたものは、食器 の類を含めて、ありがたーい物ばかりであった。そのうちのいくつかを頂いて、その日 は帰ったが、「明日また来て、良く見て必要なものを持って行きなさい。」という、戸 惑う程の、さらに、ありがたい言葉を頂くことになったのである。
 そして、今日(28日)には、ちょうど日本から持って来ていた和三盆糖をおみやげに、 改めて、その隣家へ赴いた。鍋釜茶碗カップから、掃除機やら、折り畳み椅子4脚に至 るまで、いろいろなものを頂いた。

 さらにいえば、さきの錠前については、私のずさんな取り付け工事には比較にならな い、しごく丁寧な方法で、今日、改めて隣の老主人が取り付け工事をしてくれたのであ る。

 禍い転じて福となす、というべきか。とにかく、結果的に知り合ってみれば、たいへ ん良き隣人と、そして何より、良い大家と、出会えたことに感謝しなければならぬかも しれない。


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岡田徹太郎 tetsuta @ ec.kagawa-u.ac.jp
香川大学経済学部