西北大学
中国西北大学を訪問して
経済学部長 細川滋
6月17日から20日にかけて、学術交流協定を締結している西北大学(西安市)を訪問しました。今回の訪問の第一の目的は、現在、当学部から一方通行的に留学生を派遣している状態について感謝すると共に、双方向的なものとなるように改善するための手がかりを求めることでした。第二の目的は、教員間の研究教育の交流を活発化するためのきっかけとすることでした。
そのため、18日には国際交流学院の李長安学院長と懇談を行い、任副学長との懇談の機会も持つことができました。19日には経済管理学院「世界経済と貿易学科」学科長代理の王教授、廬教授、外事部秘書、教育担当者などと懇談を行うと同時に、呉航教授(陝西省柞水県副県長)との懇談の機会を持つことができました。
2007年度派遣留学生の手続きに必要な書類については、入学許可証など、速やかに対応いただき、中国滞在中に入手することができました。また、東アジア協定大学ワークショップ講師招聘についても、前向きに受け止めていただきました。教員の交流という点でも、今回の姚先生の講演会をきっかけに、今後に期待の持てる内容であったという印象を受けています。
今後は、訪問の中で確認された点を具体化すると同時に、一井学長に西北大学を訪問していただき、両大学間の交流を活発化させたいと考えています。
懇談後に李長安国際交流学院院長と共に
西北大学の北校区内で発見された唐実際寺
(鑑真大和尚が使われた)跡地に建てられた記念亭
西北大学の北校区図書館
西北大学の南校区
経済管理学院の建物
香川大学 姚教員 講義風景
香川大学 姚教員 講義風景
経済学科 1997年度入学 佐藤怜(1999.9-2000.7 西北大学派遣留学)
「中国 西安」そこは中国4000年の歴史を持つはるかなる昔、唐という王朝が栄えた都・長安である。秦の始皇帝が兵馬庸を率いて行進し、楊貴妃と玄宗皇帝愛を語り合った場所で、歴史がこぼしていった匂いをかぎつつ、1999年8月27日私は交換留学生の一人として西安にわたり西北大学でのスタートラインを踏んだ。
何よりも第一印象に残ったことは人の多さと雄大でのびのびとした環境のなか人々の活気に満ち溢れている姿だった。目に映る物は、数々の古い建物、満・漢時代を思い出させる荘厳な城壁・そこはまるでタイムマシーンに乗りたどり着いた王朝の世界だ。
また周りの空気は乾燥し、ひと風吹くと砂埃がまく。ある時は空一面黄砂に覆われる。日本人の私にとっては慣れなく一番辛かったことかもしれない。また西安の人の主食は面である。名産といえば羊肉泡膜、肉挟膜、涼皮、などである。辛い物が好きで町中唐辛子や香辛料のにおいで漂っているのが特徴である。特に海鮮料理が好きな私は週一回ぐらい留学生の友達と日本料理店に食べに行くのは欠かせなかった。
経済管理学科(国際貿易クラス)で中国人のクラスメイトといっしょに勉強を始めた。私は何の違和感もなく、みんなが暖かい声をかけてくれる中で次第に打ち解けていった。何かわからないことがあったり、辛いことがあればいつもいっしょに悩んでくれたすけてくれた。
町へいったり、買い物にいったりするときはいつもいっしょで、ものの食べ方や、中国独特の値下げ方法、その他さまざま人と人の交流を通じて生活の知恵、まさに本当の意味での生きる知恵というものを感じた。
中国の学生生活の様子をちょっと紹介したい。朝7時に起きると彼らは売店で買ったマントウをかじりながらそれぞれの教室に歩いていく。またあきコマがある学生は校庭で必ず英語や日本語を朗読している。8時からひる12時まで授業あるとそのあと昼ご飯を食べそれから2時間ぐらい昼寝をする習慣がある。それから午後の授業にいく。夕食を取ると夜7時から10時まで自習をしにいく。そして11時30分に消灯という感じだ。
わたしもある一人の友人といっしょに日本語と中国語の勉強を一年間相互学習してきた。空きコマがあると朝早く起きると2時間ぐらい発音を確認しあったり、朗読したり、本の文章を録音しあったりした。だから、テープ膨大な量となった。特に私は難しい表現のしかたや、中国小説、唐詩・宋詞、白居易の長恨歌を暗唱したりして力を入れて勉強した。とにかくよく勉強する彼らの姿に私は感激する。また一年間ずっと中国語を使い続けた私にとって日本に帰れば日本語を忘れたようだ(笑)。
いったん友になれば自分を捨てながらもわたしを守り尽くしてくれる彼らの姿にあついものを感じた。それは国境という隔たりも感じなく、この一年間まるで兄弟の様に親しみ守り抜いてくれた彼たち。私はその友情・人情をいつまでも捨て切れないだろう。また中国は将来経済発展に関してアジアでも重要な役割をしめるだろう。
確かにちがった文化風習の困難は大きかった。だが、その困難を乗り切ったからこそ、自分を日本人としての役割をしっかり認識でき成長させることができたのかもしれない。長い歴史、新たなる人々との出会い・計り知れない魅力を秘めている感動大陸中国。
いつまでも交流が絶えない様、わたしは架け橋となり守り続けていきたい。