西野塩田株式会社
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西野塩田株式会社
西野塩田株式会社は、西野嘉右衛門が個人で所有していた塩浜を基礎に会社組織として大正9年(1920)7月に発足した。西野浜は、塩田開発の計画に当り、明治33年(1900)ごろから10年間をかけて、詫間町の塩元売商人をしていた小林駒吉などが奔走して、大阪の今井勢兵衛の出資などを得て塩田築造が行なわれたのである。西野浜全部が西野塩田株式会社の所有になるのは、昭和15年(1940)のことである。西野浜の元所有者であり、会社の名称にもなっている西野嘉右衛門という人物は琴平町での清酒「金陵」の醸造元としても知られている。しかしその後、大正9年(1920)7月には地方有志に同浜を売却したため、会社名とは裏腹に、株式会社の設立に当って、西野嘉右衛門は役員としては参加しなかった。従って、地元の当時琴平銀行の頭取であった石田甚吉や、詫間村長松田友良など地元の有志が役員として名前を連ねた構成となっている。
流下式塩田への転換工事は、昭和28年(1953)3月の着工を皮切りに塩浜を四回に分けて順次行なわれた。そして、昭和33年(1958)7月に全ての塩浜の転換工事が完了している。他方、煎熬工場についても、昭和11年(1936)西野塩田株式会社を含む詫間地区の塩田(松田塩田・松崎塩田・松崎沖塩田)が合同して、真空式製塩工場を建設し、合同煎熬会社を設立することを計画したが、戦争による資材不足のため中止している。結局、昭和24年(1949)12月の臨時株主総会を開催して真空式工場建設が決議され、翌年9月に工場が完成したのである。この時は、西野塩田株式会社は独自に出資して煎熬工場を建設している。
また、苦汁も当初は神島工業株式会社へ売り渡していたが、昭和27年(1952)に苦汁工場建設が着手され、昭和28年に完成している。製品は、煉瓦・肥料・石膏などの用途として販売されたが、採算の関係上昭和35年(1960)に工場を閉鎖した。
その後、イオン交換膜法の実施にともない、昭和46年(1971)12月18日に塩製造の廃止が許可され、12月31日に廃止となったのである。
略年表
1920年7月 | 西野塩田株式会社設立 |
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1940年2月 | 西野浜の全塩田が西野塩田株式会社所有 |
1950年9月 | 真空式工場完成 |
1953年~1958年 | 流下式転換工事 |
1971年12月 | 第四次塩業整備により西野塩田株式会社解散 |