東讃塩業組合
東讃塩業組合
東讃塩業組合
香川県下の各塩浜は、明治38年(1805)に塩専売法が公布されて以降、大正期に入っても、特に団体組織を有していなかった。各塩浜間の取り決めは、労働賃金率の協定であるとか、作業方法の統一に関する協定が主であった。技術的向上などへの寄与は見られず、旧態遵守にとどまっていたのである。このため、石炭の協同購入や包装用塩叺などの資材買付け、塩納代金の受領などを取りまとめるため、大正7年(1918)2月に東讃塩業購買組合が結成されたのである。さらに、これら諸事業を産業組合法の保護のもとに行なうこととし、大正8年(1919)11月22日に有限責任東讃塩業信用購買組合(『沿革資料』には有限会社東讃塩業信用購買組合とある)として発足した。同組合は、西から下笠居(一部分)・弦打・香西・西浜・木太・屋島・牟礼の塩浜で構成され、範囲は香川郡・木田郡・高松市の二郡一市、面積にすると300町歩近くに及んだのである。また、出張所を高松・潟元・牟礼の三か所に設置し、組織の整備を行なった。組合員は、塩田所有者および製塩業者が加入資格を有していた。さらに、昭和10年(1935)5月に保証責任東讃塩業信用購買販売利用組合となっている。
この間、大正15年(1926)には、木太地区の塩業者が組合から脱退し、昭和5年(1930)には牟礼地区も独立している。そして、昭和 18年(1943)11月、塩業組合法の施行に基づき東讃塩業組合、さらに昭和24年(1949)2月には中小企業等協同組合法により東讃塩業協同組合へと改組されている。また、昭和26年(1951)12月には、脱退はしなかったものの、屋島塩業協同組合が組織され、ついに昭和27年(1952)4月に屋島塩業協同組合と高松塩業協同組合に分離し、東讃塩業協同組合は解散した。
略年表
1918年2月 | 東讃塩業購買組合が結成 |
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1919年11月 | 産業組合法施行により、有限責任東讃塩業信用購買組合に改組 |
1926年 | 木太塩田株式会社が東讃塩業組合から脱退 |
1930年 | 牟礼塩田協同組合が東讃塩業組合から脱退 |
1935年5月 | 保証責任東讃塩業信用購買販売利用組合と改称 |
1943年11月 | 塩業組合法に基づき、東讃塩業組合に改組 |
1949年2月 | 中小企業等協同組合法により東讃塩業協同組合に改組 |
1951年12月 | 屋島塩業協同組合が組織 |
1952年4月 | 屋島塩業協同組合と高松塩業組合に分離(東讃塩業協同組合解散) |