屋島塩業組合
屋島塩業組合
昭和26年(1951)12月26日、真空式製塩工場建設を契機とし、中小企業等協同組合法に基づいた屋島塩業協同組合が発足した。屋島塩業協同組合は、屋島浜・子の浜・亥の浜・潟元新浜・生簀浜を管轄し、加入組合員数は36名、塩田面積は100町弱で、東讃塩業組合潟元出張所に仮事務所を設置したのである。なお翌年4月には高松塩業協同組合が発足し、東讃塩業協同組合が解散する。また、昭和27年3月に、四重効用真空蒸発製塩設備の起工が行なわれ、翌28年1月16日に完成し、煎熬が開始された。この煎熬工場が廃止となるのは、昭和35年(1960)3月10日のことで、坂出市にある日本化学塩業株式会社が引き継くこととなったのである。
屋島塩業協同組合は、昭和29年(1953)3月29日に塩業組合法によって屋島塩業組合へと改組している。
その後、イオン交換膜法の実施にともない、昭和46年(1971)12月15日に塩田での採鹹を廃止し、翌年3月に屋島塩業組合は解散することになったのである。
略年表
1951年12月 | 真空式製塩工場建設を契機に屋島塩業協同組合を組織 |
---|---|
1954年3月 | 塩業組合法施行により屋島塩業組合に改組 |
1960年3月 | 塩業整備臨時措置法により、煎熬は日本化学塩業株式会社で実施 |
1972年3月 | 第四次塩業整備により屋島塩業組合解散 |